OFFです。余談を。
「國立先生はどんな子供たちを育てていきたいですか?」
昨日の名古屋駅での塾長飲み会の一場面、縁あって参加してくれていた学校の先生からの質問でした。
あ、この新鮮な質問の感覚、経験あるぞ。確か以前学校の先生たち向けの勉強会に参加した時に、学校の先生から同じ種類の質問を受けたことがありましたね。
これらの質問はお金の臭いがしません。純粋に子供たちにどう育ってほしいのかについて100%考えているという感じでしょうか。
この質問を飲み会での時間のかなり最初の方に受けたので、この質問の重要度が高いのではないかと感じました。
悪く言うつもりでは無く単純な事実として、学校の先生たちの話というのは教室に子供たちが座っていることは前提なんですよね。
そして、そこで勉強をするというのも当たり前の前提にある気がしています。まぁ確かに学校の当たり前なのですが(^^;)
この2つが前提にあるのでこの前提の次の部分、「学習内容とは別の部分で子供たちにどんなことを与えてあげたいか?」という部分が学校の先生たちにとって大きな関心事なのかなぁと。
ここは公教育と私教育の大きな違いだなぁと感じさせられます。
塾ではまず子供たちに教室に座ってもらうために、お金をかけて生徒募集をしなくてはいけません。
「優しい子を育てます」では保護者は塾にお金を払ってくれません。保護者が塾に我が子を入れる目的は1つ。「成績を上げたるため」ですよね。
塾は「うちの塾に来てくれたら頑張って成績上げるよ!」というメッセージを保護者に最初に届けなくてはいけないのです。
このへんの感覚を伝えたくてその先生にお話をしました。
「そうですね・・私は努力の大切さを伝えたいですね。ただ、塾では飽くまでこれは学習指導の中、成績向上を目指す上でのサブテーマであって、一番外に出るものじゃないのかなぁと思っています」
「私の『努力が出来る人になってほしい』とか『好奇心を持ってほしい』なんて思いは保護者からしたら基本どうでもいいんです」
「保護者は成績を上げたくて塾に入れてるんですよね。その結果を出さずしてゴチャゴチャ崇高な想いなど要らんわけです」
「だから私はまずもって成績を上げることを目指し、それに付随して努力の凄さ大切さを身につけてくれたらいいなと密かに思うぐらいです」
別に塾の方が大変なんだとか言う意味じゃなくて、塾ってこんなところなんですというつもりでお伝えしました。
例えば学校の先生が塾の先生になるなんてこと多くあるのですが、そんな人がこのへんの感覚の持ち方を塾用にシフトしていかないと苦戦すんじゃないかと思うんですよね。
無条件で40人の生徒が自分の前に座っていた学校時代と違います。塾の指導方針に賛同してもらって生徒を集めるところから始まります。
あまりに成績向上に直結しない内面の成長を追うような広告だと、保護者に見向きしてもらえませんよね。
「学校と違って塾は自由だ!俺はやりたかった自由な指導をするぞ!」という意気込みで、そこに共感なく保護者がお金を払う意味を見いだせない塾を作ってしまうと苦戦必至です。
塾はまず成績を上げる。塾長の子供への想いはそのベースの上に乗せていく
こんな思いで私はいます。もちろん想い無しではやれませんし、想いの薄い塾は弱いです。
バランスが大事なんだなと思うのです。「まず成績を上げる」という意識が6割切ったらマズイと思います。
これから公教育から私教育へ移ることを検討している若い先生方に、参考にしてもらえたらと思い書いてみました。
余談でお送りしました。
今日はこのへんで。
それでは。
昨日の飲み会でのハヅキルーペ試着会のこの写真、先生方の表情も良くお気に入りです(´▽`)
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國立拓治
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