長期OFF最終日、最後の余談でお送りします。
この連休中にピース又吉のエッセイ「夜を乗り越える」を読みました。
エッセイなので軽く読めるからいいなと思って手にしたのですが、夢中で読みましたね。
私が良かったのはエッセイの前半です。芥川賞受賞作「火花」を書くまでの又吉の心の内が書いてあって興味深く読みました。
ど真ん中いくものを書きたい
又吉は自分が書く小説についてこんな表現で意気込みを語っていました。
「ど真ん中いくもの」とは、自分が面白いと思う独りよがりな内容では無く、読み手を強く意識して受けを狙いに行く内容では無く、その両方。
どちらも包括したど真ん中をいく圧倒的に面白いものを書きたいと言っていました。
又吉に言わせると、それを体現している小説家が西加奈子であったり町田康であったり中村文則だったりするそうです。
お笑い芸人にもこの感覚当てはまるようで、自分だけが面白いと思う独りよがりな内容では無く、世間受けを強く意識して受けを狙いに行く内容では無く、その両方ってことでしょうか。
どちらか一方では無く、どちらも。「言い訳なしで両方やろうや」なんていう想いが又吉にはあるようです。
まさか又吉のエッセイで熱い想いにさせられるとは思いませんでした。これって塾にも当てはまりそうです。(全ての業種でも当てはまりそう)
塾で同じように言うならば、「自分(だけ)が良いと思うような独りよがりな学習指導法」ではなく、「生徒や保護者に来てもらいやすい受けだけを狙った学習指導法」では無く、その両方。
どちらも包括したど真ん中をいく圧倒的な成果を出す人気の塾でしょうか。良いですね。目指すところです。
昨日の記事で書いた小説「きりこについて」と映画「きっと、うまくいく」で「周り気にせず自分らしくやりゃ~」という教えも身体に染みてます。
これらに影響されて、来春に向けて塾のシステムを改良していこうという気持ちを新たにしました。
塾の指導はよりシンプルに。より安価に。
これからの当塾について、今思っていることを書き記しておきますね。
まず大前提として、塾について何度か考えてみたのですが何度考えてもこのような思いにたどり着きます。
「塾に行かなくて済むなら越したことなくね?」
塾って病院に似てるのかなって思います。「行かないなら越したことない」「素晴らしい病院だとしても良くなれば長居しないに越したことない」と思いません?
病院も酷いところは酷くてですね、過剰な治療や薬を出してお金をふんだくることばかり考えているところあります。患者がどうなろうと大して気にしてないんですよね。
塾も酷いところは一緒です。過剰な指導や教材を買わせてお金をふんだくることばかり考えて、生徒がどうなろうと知ったこっちゃない・・・
おっと、ドクドクの実の能力が発揮されてしまいました(笑)
塾は病院と一緒でなるべく来ないほうが望ましいし、来ても良くなったら辞めた方が良いということです。
そして塾での指導について最近よく思うのは・・
「塾を卒業した後に生徒が再現できないクセのある学習法なら辞めた方がよくね?」
ということですね。
塾での指導がいかにわかりやすくて素晴らしい指導でも、その素晴らしい指導頼りの学習であると無くなった時に破たんします。
有名な魚釣りの例えで言うならば、塾は釣った魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるべきかなと。
ならば塾の指導はよりシンプルな方がいいんじゃないかな?と最近とくに思います。
指導は「よりシンプルに」を目指したいです。
さらにいうならば、それに合わせて通っていただくご家庭の立場に立って「より安価に」を組み込みたいですし、
めっきり弱くなった私の身体をいたわるためにも「より塾のお休みを増やす」方向にもっていきたいです(笑)
そんな塾あるか?ビジネスとして成り立つのか?なんて心の中のツッコミの声が聞こえもしますが、自分の思うようにやってみりゃいいですよね。
自分のやりたいことと生徒保護者が望むことのど真ん中を撃ち抜く塾となるように周り気にせず目指してみます。
長い連休が今日で終わり、明日から指導再開です。今日は再開に向けて教室の掃除に行ってきました。
この連休が終わりましたから、もう入試終わるまで一気ですね。頑張ります!
今日はこのへんで。
それでは。
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國立拓治
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