少年T 2

1988年、愛知県下最大のマンモス団地「高蔵寺ニュータウン」、岩成台中学に通うの国田のお話。

初めての中間テストの結果をふまえて塾に通うことになった国田。緊張しながら初めて塾に足を踏み入れた。

お世辞にも綺麗とは言えない空間。壁には社会の年号暗記の語呂合わせとかが沢山貼り出してあったように思う。

隣の藤山台中学の生徒も沢山来ていて、その空間は本当に未知の空間。今よりももっと中学生全体が荒れていた時代。不良っぽい生徒もいたりしてより緊張した。

塾長のはアウトローな雰囲気をもつ、やさぐれたアナゴさんのような人だった。

東京の塾で働いたのち、地元に帰り塾を開いたという経緯の人で、基本日々タバコ臭い人だった。

緊張する中で塾長の授業が始まった。なにせ初めての体験。全てが「塾の授業っていうのはこういうものなんだろうな」という受け取り方だった。

通う生徒たちの層は成績中下位層を中心に上位層が少しだけいた記憶。最初は中下位のクラスで授業を受けた記憶がある。

塾長はICU出身で勉強が得意な人だった。勉強が不得意な生徒たちの理解力を想像しながら、レベルを下げて授業をしていたのだと今は思う。

「DOは文頭、DON’Tはサンド」「ひっくり返しのNOTつき」

英語の文章の作り方をフレーズで叩きこもうという意図で、こんなフレーズを生徒たちに唱えさせていた。今も覚えているフレーズなんで間違いない。

塾長が授業を進めて、アルバイトが問題演習を見るという構成の塾だった。

他の選択肢を知らないし、同じ中学の友達も沢山いるし、塾の良し悪しとは別にこの塾に通うことを決めた。

その後迎えた期末テストで80番ぐらいになっただろうか。少しだけ成果が出た。

塾長の授業はわかりやすい部分あるが、アルバイトが仕切る問題演習の時間はダメダメで、ただ友達と話すのが楽しい時間だった。

今だったら通わない、団塊ジュニア世代ど真ん中がいたその当時だったからこそ生徒が溢れていた塾だったなぁと振り返って思う。


人は感情の波が高ぶったときのことを良く記憶している。この塾に通っていて感情が高ぶった嫌な記憶が残ってる。

忘れたくても忘れられない記憶、それは塾の授業中にうんこをしたくなった日のことだ。

今もだろうか?当時は学校でうんこをするという行為は重犯罪のような扱いで、「あいつ、学校でうんこしてやがったぜ」なんてからかわれる。

他人の目を気にする年頃に、堂々と胸を張って学校でうんこを出来る勇者などいやしなかった。

これは塾でも同じで、中学生になっても犯罪扱い級の行為だった。

その頃塾は近くの本屋の2階に移転をしていたのだが、その時の塾のトイレの配置は塾長のいる部屋の中に男女共用で和式のトイレが1つだけという最悪のスペック。

休み時間になると生徒たちがワイワイと溢れるその部屋の中に、こんな低スペックのトイレが1つあるだけ。

こんな恐ろしい環境下、こともあろうかうんこがしたくなる悲劇が襲う。どうやり過ごすべきだろうか。

休み時間になったが、塾でうんこをするという選択肢はすでに無し。ここは休憩中に猛ダッシュで家に帰ってトイレに行って、再度塾に戻ってくるという手段をとることに。

猛ダッシュで家に帰り用を足し、猛ダッシュで塾にリターン。手には数学の教科書。「数学の教科書を取りに帰っていた」という恐ろしい嘘くさい言い訳を言うためにだ。

「あーやばかったやばかった」と安堵して塾の入口に手をかけると・・・

ガンッ!

入口が閉まってる!?その時の時間の経過は覚えていないが、勝手に外に出てるんじゃねーよという塾長の仕打ちだろう。

入口と教室は遠く離れていて、扉をガタガタしたぐらいで2階の人達には伝わらない。ピンチが続く。

どうすんだこれ?!そのまま何食わぬ顔で家に帰ってしまおうかとも考えたが、筆記用具とか教材とか全て教室に置いてきた。

嫌な汗が流れる。なんとかならんかと考えて、他の入口を探すことを思いつく。

建物の裏側に回ってみる。・・・なんと!雑草で覆われた裏庭の真ん中に、二階へ続く外付けの鉄製の階段を発見!!

まさに天国への階段のごとし!神は国田を見捨てなかった!

古びた階段を登る。恐らく塾長の部屋のあたりに出るであろう希望の扉に手をかけた。

ガンッ!

また閉まってる!?なんてことだ!万事休すか!?・・・しかし今度は内側から反応が。

「うわ!!?ビビった~!」

ワイワイとする休み時間中に生徒たちが驚いて声をあげた。塾長が騒ぎに気がついて内側から鍵を開けた。

考えられない場所から現われた国田。塾長が口を開く。

「お前何してんだ」

「きょ、教科書を取りに家に帰ってました・・・」

教室に戻り同級生たちから何があったのかと同じことを聞かれる。

「教科書を取りに家に帰ってて・・・」

同級生たちはニヤニヤとして「ふぅ~ん」と意味深なリアクションをしてくれた。

同級生のニヤニヤとした表情、「ふぅ~ん」という言葉のイントネーション、忘れられない忌々しい記憶だ。

・・・

・・

「塾のトイレは多感な中学生たちが使うので配置などいろいろ気を使いたい」大人になってそう強く思う国田には、こんなバックボーンがあったとか。

また、不自然に途中で塾から家に教材を取りに帰る生徒に優しい対応を国田がするのにも、このエピソードが関係しているとか(´▽`)

果てしなくどうでもいいエピソードを披露したが、この個人塾に、この先国田は思いのほか長い間お世話になることになる。

思い出し思い出し、引き続き当時のことを書いてみたいと思う。

つづく。

この朝日新聞販売店の右隣に本屋があったんです。その2階に塾があったんです。10年前ぐらいまでは建物があった気がするんですけどね。過去の話ですね。

今日はこのへんで。

それでは。

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國立拓治

愛知県岩倉市と兵庫県伊丹市にあるさくら個別指導学院の塾長。2005年より愛知の中学生親子の力になれるよう当ブログを日々更新。月間最大50万PV。拙著「くにたて式中学勉強法」は12刷重版!著書累計は6万5千部突破!休日は余談も発信!3度の飯より飯が好き。詳しいプロフィールはこちら。