OFFです。余談を。
1988年5月、愛知県下最大のマンモス団地「高蔵寺ニュータウン」。地元の岩成台中学に進学した国田は人生で初めての中間テストの日を迎えた。
一緒に学校へ行こうと505号棟の中川君の家に向かう。その家の前で親戚の姉さんに出会ったことを覚えている。
親戚の姉さんは2歳違い。当時中3であったその姉さんは、勉強が得意で賢いということを親から聞いていた。
「あぁ、たくちゃん、おはよう。初めてのテストだね。頑張ってね」
ひたすら爽やかに余裕を漂わせ親戚は先に学校へ向かった。30年も前の出来事だが、その時の緊張した感情と親戚と交わしたこの会話をなぜか今も覚えている。
最初の定期テストへ向けて国田はどんな準備をしたのか?
当時塾にも通っていなかったし、おそらく、進研ゼミの勧誘冊子とか中1コースとか、それっぽい雑誌とか友達の話を聞いて何かをしていたのだと思う。
思い返せば、テストの点数を取るためにテストで正答が書けるようにする勉強というよりも、「中学生がやる定期テスト勉強っぽい作業」をなんとなく真似ごとをしていただけのように思う。
当時岩成台中学は5クラス、学年で220人弱の生徒数だったように記憶している。1クラス40人を超えていたのだろうか?もしかしたらそうだったのかもしれない。
さて、人生初めての定期テストを終え、人生で初めて同学年の中での学力の順位を目にした。
「100番」
なんとキリの良い順番だ。忘れようにも忘れられない。
思ったより後ろだったな。もうちょっと良くてもいいなぁ。・・・そんな風に感じたように思う。
「ひとまず一人でやってみて、その結果を見て塾に通うかどうかを検討しよう」
このように決めていた国田の家では、この結果を受けて塾に通うことを決定した。
さて、ここから「どこの塾に通おうか?」となるのだか、なにせ情報が無い。「誰々が通ってるから」という理由が10割の塾選び。
塾の良し悪しについて何も気にしていなかったように思う。母親の口ぶりからすると、塾の費用は多少選択に関わっていたかもしれない。
選んだのは校区内にあったドラッグスギヤマの2階にあった末広塾という個人塾。なんてことない、同じクラスだった重山君が通っていたからという理由が10割だった気がする。
国田は子供が溢れるほどいた団塊ジュニア世代ど真ん中。当時はそんな子供たちを相手にする塾はとにかく儲かったようだったので、個人塾も多かった・・・いや、企業塾よりも個人塾が主体だったのかもしれない。
しっかりした塾も、いい加減な塾も、どちらも存在することが出来た時代だったのだと思う。
塾への初日、509棟だったか、重山君の家まで迎えに行ったことを覚えている。
ドラッグスギヤマの隣、急な階段を登って塾に到着した。階段を登ったのと緊張とで心拍数は高かった。
つづく
多分フィクションです(^^)
↑このコーヒー屋の左隣にドラッグスギヤマがあったんです。それにしてもこのコーヒー屋30年前からある(´▽`)
ちなみに、文中で定期テスト当日に出会った親戚の姉さん、数年前に中3の我が子を連れてさくら個別に進路相談に来てくれてます(^^♪
今日はこのへんで。
それでは。
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國立拓治
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