【2024年2月1日㈮に石川県穴水町へ災害ボランティアに行ってきたときのレポです】
今日はOFFじゃありませんが余談を。教室を澤木先生に任せて石川県へ災害ボランティアに参加してきました。参加までの経緯は以前書いてます。
今後この能登半島地震災害ボランティアに参加する方の参考にしてもらうためにも、ボランティアレポートさせてください。
出発まで
真っ暗な金沢駅前、スキーに向かうような重装備で、スキーへ向かうバスが並ぶようなボランティア集合場所の景色。
災害ボランティアは朝6時半に金沢駅集合です。
穴水町へ向かい中型バスが走り出しました。
穴水町は被災状況がひどかった能登半島先端の地域である珠洲市・輪島市・能登町のすぐ下にある町です。地域によっては被害が酷かった地域のようです。(国土交通省HPより↓)
今回の石川旅で石川の自治体に詳しくなりました。能登半島って地元の人は左手の親指を少し曲げて立てて、能登半島と同じ形にして場所を説明するんですよね。
知ってからは真似して説明してました。
穴水町へ向かうボランティアは15名。大学生ぐらいの若い子から、ボランティア常連の60代ぐらいの年配の方まで様々でした。
最年長を免れましたね。私の年齢(49)はおそらく真ん中より少し上ぐらいかと思います。
ボランティア活動オリエンテーション
バスの中で配られたボランティア活動オリエンテーションの紙です。これから参加する方には参考になるかと。(穴水町版ですが)
マーカー部分が大事なのでしょう。おそらくトラブルの元になるところ。
学生時代にコンサートスタッフでバイトをしていたときに、これと同じ感じで「PASS」と言うシールを衣服に貼ってました。
なんだか選ばれしもののようで嬉しいんですよね。このシールに相応しいように頑張らねばなりません。
スタッフがバスの中で説明を加えてくれました。
穴水町までは順調にいけば2時間、道路状況悪ければ3時間の道のりとのこと。そんなかかる?
作業は午前中2時間午後2時間の予定だそうです。
金沢から遠くなればなるほど活動時間は短くなるようで、能登半島の先っぽにある珠洲市はとにかく遠いので、活動時間が2時間ぐらいしかとれないとか。
高速道路がもう少し復旧したら、もっと活動時間も増えそうですけどね。
2月1日時点では町全体が断水しているがトイレは仮設トイレがあると。
前日にお会いした能登の熊野先生が「断水してるからトイレは行かなくてもいいように絞り出してから行ってきてください」なんて脅すものだからビビってましたがホッとしました。
スタッフの方に昨日あったボランティア現場でのトラブルを聞かせてもらったのですが、ボランティアに仕事を依頼した被災者の方の写真を無断で撮る人がいて問題になったそうです。
SNSの時代ですし、写真に関してはデリケートな感じですね。
先ほどの説明の紙の写真撮影の表記にもマーカーが引かれていて、重要度を強調しながらも、そのわりに微妙な表現なのがそれを物語りますね。
到着までの3時間
8時に西山パーキングエリアでトイレ休憩。距離的にはちょうど半分ぐらいでしょうか。
売店は臨時休業、トイレ手洗い場の水は出ず。いよいよ被災地に入ってきたことを実感します。今後断水続いていたらウェットティッシュ必携でしょう。
8時10分休憩終了、出発。
高速を降りるぐらいの横田ICあたりから道路が崩れたり土砂崩れの跡とか出て来始めました。他の方々も思わず写真に収める場面。
8時44分頃、横田ICから下道に降りたところで渋滞にハマりました。
高速が横田ICより以北はまだ復旧していなくて、途中から下道で向かう必要があるようです。
1車線の下道に、延々とトラックなどの復興業務の車両が列をなします。これです。これが片道3時間の理由ですね。
しばらくずっと徐行ほどの速度で進みました。そして北上するにつれて街はだんだんと被害の状況が酷くなってきました。(徳島新聞の報道動画↓)
震災現場の写真撮影について
そんな中、私の前の座席の男性が、被害が酷い街の様子に対して好奇に満ちた表情で、バスの右に左に写真を撮りまくっていました。
ちょっと引くレベルでカシャカシャ言わせて崩れた家の写真を撮り続けていました。
あまりの振る舞いに後部座席に座っていたボランティアベテラン風の年配の方が
「原則写真禁止ですよ!特に民家とか撮ってはいけない。修学旅行じゃないのだから」と窘めました。
私はその言葉に「確かになぁ」と思いながらも、どこかで腑に落ちていない自分がいました。
この人は確かに好奇心100%でシャッターを切りまくっていたのだけど、それがたとえば多くの人にこの事実を知って欲しい、能登のことを忘れずに想っていて欲しいなんて気持ちがそこにあったらどうだろう?なんて。
このバスの中で湧いた私のモヤモヤは、帰る頃に腑に落ちることになります。
穴水町に到着
町の中心に据えられたボランティアセンターのようなところ(避難所でもある場所)で出迎えていただいたのは地元スタッフと名古屋からの災害ボランティアの方々。
ここからボランティアの要望を出してくれた各家庭に分散して向かうようです。
着いて活動に入る前に、装備を貸してもらえました。持ち物に無かったヘルメットはここで貸してもらえました。
その他、粉塵マスクとゴーグル、軍手と靴カバーと貼るカイロまで。
持ちものに書いていなくて活動に必要なグッズは当日貸し出されるのでしょうね。
ボランティアのプロみたいな人たちは、このへんのプラスアルファのグッズも自分のものを持ってらっしゃること多い感じでしたが、こうしたものは基本的にここで貸してもらえたらいいなと。
(ヘルメット以外は持って帰っていいよと帰りに言われて、マスクとゴーグルをいただいて帰りました)
持ち物リスト
参加案内に書いてあった持ち物と現地で配られたグッズ書いておきます。感じた必要度の大きさと共に。
参加案内に書いてあった持ち物
・防寒着➡重要。スキーウェアみたいなやつをワークマンで買って、着て行きました。当日は最高気温1度とか言う世界で、急遽大げさなやつにしました。
・動きやすい服装➡私は防寒着だけ着てました。必要に応じて防寒着の下に動きやすい服を着ておいて、着たり脱いだり出来るといいかもですね。
・軍手➡重要。ゴム手袋の方が汎用性がある。麻の軍手と使い分けた。
・マスク➡重要。その日は小雪交じりで湿っていたのでよかったが粉塵対策に。防塵マスクがベストだがメガネの私にはレンズが曇って不便だった。
・自分の飲食物➡コンビニでおにぎりを2個買っていった。トイレの心配もあるし、少なめがいいと思った。水は欲しい。
・内履き➡今回使う場面なし。体育館シューズみたいなのを買って持って行った。重くて邪魔だったので軽くコンパクトなもの推奨。
・カッパ➡雨降らず出番なし。スキーウェアみたいな防寒着が防水加工されていたのでこれで兼ねるつもりだったので持っていかなかった。ヘルメットあるので頭も良しとした。
現地で配付された持ち物
・ヘルメット➡超重量。作業中に追加で瓦が落ちてきたらどうしようとか、生まれて初めてヘルメットの必要性を感じました。
・ゴーグル➡これも欲しいと思いました。瓦撤去作業中、目の前でハンマーを振り下ろしてブロックを割っていたので破片飛んできてもおかしくない。ヘルメット部分につけておいて、必要場面で装着して使いました。
・麻の軍手➡ゴム手袋が午前の作業でドロドロになってしまったので午後の作業で使いました。これはこれで1つあると良さそう。
・靴カバー➡もらいましたが、使う場面ありませんでした。長靴じゃなくて普通の靴の人用かな。
・貼るカイロ➡使いませんでしたがあってもいいかも。作業してると暑くなるのでよほどの寒さの時には。
持ち物に書いてなかったけど必須級
・踏み抜き防止インソールを入れた長靴➡釘の出てる現場でした。まさか踏み抜き防止インソールが役立つことになるとは。作業をして長靴はしっかり泥で汚れました。ショート丈の長靴をワークマンでどうぞ。
あると手練れ感高まるボランティアグッズ
・小さめ折りたたみのこぎり
・ペンチ
・スコップ
・ウエストポーチ
➡全部手練れのボランティアさんが持っていて現場で助けられたグッズです。これらがウエストポーチから出て来る出て来る。かっこいい。
・参加証ホルダー
➡これは別にいらんのですが、手練れ感が出てカッコいい(笑)
持ち物は慣れるまではちょっと張り切りすぎぐらいがちょうどいいと思います。現場には自分の荷物も持っていけるので、使わなくてもその中に入れておけばいいですからね。
貴重品はポケットに入れておきました。
午前のボランティア活動開始!
3グループに分かれていよいよ作業開始です。
私たちバスで乗り付けたメンバーに加えて、広島から来たという屈強なセミプロボランティア団体みたいな方が加わって、私のいたグループは大人8名ほどに。
街の被害は酷いです。YouTubeにも動画あがってました。この道の前通りましたね。こんな被害が至る所で。
センターから車で5分程で現場に到着。
仕事内容としては家の横に落ちた瓦と倒れたブロック塀をひたすら撤去するという作業が割り当てられました。広さにして8畳ほど。
がれき袋にセッセと入れ続け、ブロックを割って運び、車に積み込んで、処理場に運んで。
なかなかの肉体労働、ボランティアらしいボランティアです。(後から何日も参加しているメンバーに聞いたらこれまでで一番キツい作業だったと言ってました)
地味で地道なキツい作業です。淡々と片付けていきます。私はバテテきて次第に口数は少なくなってきましたね。
小雪舞い散る中、大人8人で2時間ほど作業してようやく全て綺麗になりました。
あぁ、現場での写真撮影が出来ないのが残念。ビフォアアフターお見せしたかった。
綺麗に片付いて、身体も動かして、心地よい疲労感です。
ここからボランティアセンターに戻って昼食タイムでマイクロバスで1時間ほど休憩です。
お会いしたボランティアの方々
お会いしたボランティアの方々は、話を聞くと沖縄、千葉、静岡、東京、名古屋と様々なところから。
名古屋の方は「南海トラフもあるし、おそらくその時は皆にお世話になるから、先に徳を積んでおこうかと」なんて話してました。
面白いですね。ボランティアに参加する照れ隠しだとは思いますが。
同じグループだった東京から来たおじさんに「集合場所の目の前にあるアパホテルに泊まってた」なんて話したら、「豪華だねー」なんて言われてしまって。
え、アパホテルは豪華なの?なんて思っていたら、「俺車中泊で4日目だよ」なんて涼しい顔で。
さっきの名古屋の子もずっとネットカフェに泊まってると。そこに静岡の子も僕もネットカフェですなんて話に入って来て。
どうもアパホテルはボランティア界では豪華ホテルとなるようです(^^;
ボランティアガチ勢の当たり前に驚きました。
午後のボランティア活動開始!
午後はさらにメンバーが分かれてボランティア4名のグループに。
「どなたかリーダーお願いできますか?」とスタッフに聞かれて、圧倒的最年長メンバーの私が立候補を。
依頼先で何かあった時の連絡用に私の携帯番号も伝えて出発をしましたが……
しばらくして私がスマホを紛失していることに気が付いたのです( ゚Д゚)イツモノヤツ
どうも昼食を食べたバスの中に置いてきた模様。仕方ありません。メンバーの大学生に声をかけます。
「あのー、リーダーになって携帯番号をセンターに伝えたんですけど、スマホがどっか行ったことに気が付いてしまってですね。携帯番号の変更をセンターに連絡してもらっていいですか?」
リーダー就任直後にダメぶりを発揮。力仕事じゃないところで活躍しなきゃいかんのにこのザマです(+_+)
午後の作業は午前の10分の1ぐらいの労力で済む作業で、処分してほしい家具の回収を3件回るだけでした。
圧倒的にスムーズに短時間で終えてセンターに帰還。
到着して私は早速バスに向かい座席でスマホを発見。
無事にあったことでホッとしていたところに大学生たちが声をかけてくれました。
「スマホありましたか?」
「これがねぇ、おかげさまで無事にありましたわ。ポンコツリーダーでごめんね!」
リーダーの活動成績は怪しかったですが、ひとまず和やかに終えることだけは出来ましたね(苦笑)
この日出来る依頼は全て終えてしまい、全ての活動自体が14時過ぎに終了しました。皆でセンターに戻るところ。
14時半には穴水町を出発。渋滞もほぼ無く、帰りは1時間短縮して16時半に金沢駅に着きました。
帰りは知り合った後なので皆が和やかです。「お疲れ様でした!」なんて声を掛け合い別れましたね。
時系列で追うレポは以上です。
最後にボランティアデビューの感想を少し書かせてください。
災害ボランティアに初めて参加しての感想
一緒に活動をする方々が気持ちいい方々ばかり
ボランティアに応募している時点で利己的な人はいなくなりますよね。
現地スタッフも、参加ボランティアも。
話していて気持ちのいい心持ちの方々ばかり。そんな方々と一緒に作業をする体験はとても楽しかったですね。
最初から報酬ゼロ円となってるのが清々しい。妬みとかも出ないし、サボろうとかも出ないでしょう。自分で望んで来ているし。
現地の方には待ちわびた助っ人のように対応してもらえて喜んでもらえますし、こういうところがボランティアの魅力なのかなと感じました。
素直な感想で言うと、もはや自分の趣味のように参加される方もいるのでしょうね。
釣りやゴルフってお金と時間と体を使って、魅力を感じて活動をするじゃないですか。
ボランティアもお金と時間と体を使って、魅力を感じて活動をしますからね。
ボランティアガチ勢たちの気持ちがちょっとわかりました。これは魅力的だわ。またやりたいわ。
日本全国からプラスの想いが集結
穴水町では車の運転を任されていたので、町中の復興へ向けた活動を良く見ることが出来ました。
さいたま市と書かれたごみ収集車が走っていたり、朝霞駐屯地の自衛隊トラックが止まっていたり、香川ナンバーの重機が動いていたり。
藤田保健衛生大の人が現地ボランティアをしていたり、一緒に働いた傭兵みたいなボランティアの人は広島だったし。
日本のあらゆるところからこの街に、この街の復興のために集結していて。
大きな被害で大きなマイナスを背負ったこの街に、今は大きなプラスのエネルギーしか活動していないのです。
街の息吹が凄いのです。
陳腐な例にはなりますが、エヴァンゲリオン、使徒ラミエルを倒すために日本中が力を合わせて電力を集結させた「ヤシマ作戦」のごとく。
日本中のプラスの心と力がここに集まってるのだなぁと思うと、胸が熱くなる思いでしたね。
被災地の写真撮影は報道に任せる
さて最後、写真撮影に関してです。
このブログで現地の被害状況とかを伝えることで、よりこの震災への関心が高まると良いななんて現地に入るまでは思っていました。
で、実際に現地につくと甚大な被害を目の当たりにするのです。
街を車で走れば潰れた家屋も多数。取り壊すしか無いぐらいの被害を表す赤い紙が貼られた家ばかり。
たとえば1階部分が潰れてしまってぺちゃんこになった家屋。何件も見かけましたが、ここで人が亡くなっている可能性が多分にあって。
人が亡くなっていなくても、住む場所を失ったという事実がそこにあります。
そう思うと、こうした家屋の写真をSNSにアップするというのは関わる人たちにとってはただ悲しいことですよね。
関わる方々の心情まで想像が出来てませんでした。いつもいつも私は想像が足りません。
「甚大な被害の様子の発信は報道機関に任せ、私たち個人は違う形で現地の力になれればいいな」
これがバスの中でモヤモヤしていた気持ちをスッキリとさせてくれた新たに湧いてきた想いです。
こんな理由ありまして、ブログなのに現地の写真が少なくてスイマセン。差しさわりなさそうな写真だけUPしておきますね。
災害ボランティア初参戦の感想は以上です。
参加したいという方はこちらからボランティア登録をすると、ボランティア情報が贈られてくるので、都合の良い日程でご参加ください↓
こちら、「一口目が美味すぎたビールオブザイヤー」を受賞した金沢駅ナカの店のビールです。
なにせ体調を崩さぬようにと前日から飲んでませんからね。
なにせ断水していたのでトイレが近くならぬように水分をずっとセーブしていましたからね。
なにせ肉体労働をして気持ちよく働いてきた後ですからね。
気持ちのいい人たちに囲まれて、感謝されて帰ってきたところですからね。
この一口目の美味さはこれから5年は破られないのではないでしょうか(笑)
ボランティア後にはこうして金沢駅ナカとかで経済を回わす支援活動もいいですよね。
長々とお送りしました。これから能登のボランティアに行く方の参考になるといいです。
今日はこのへんで。
それでは。
経済を回す活動に余念なく、石川ソウルフード「8番らーめん」も行ってきました(´▽`)
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